日本のお茶の歴史

9世紀、仏教の修行僧、永忠が中国からお茶を持ち帰りました。その頃には、中国ではお茶は数世紀にわたって嗜まれていました。永忠はお茶を天皇に献上し、それを飲んだ天皇はすぐ、日本でお茶を栽培するよう勅令を出しました。

しかし、茶道はその後3世紀広まることはありませんでした。初期には抹茶の一種が仏教の修行場で宗教儀式の際に飲まれる程度でした。

13世紀になると、お茶はステータスシンボルとなり、武士が豪華な茶会を開いて飲むようになりました。そこでは、お茶の種類を当てた者には、賞品が与えられました。

侘び寂びと利休

日本のお茶文化は、室町時代になると少し変化します。お茶を嗜むことは精神的鍛練と結びつけられました。「侘び寂び」という考え方で、不完全と無常を受け入れることが悟りへの第一歩と位置付けられたのです。

千利休と村田珠光の二人は、15世紀に登場した重要人物です。村田珠光は日本の茶道の形を作り上げ、核となる以下の価値観を確立しました。

  • 謹=慎み
  • 敬=飲食物への敬意
  • 清=心身の清らかさ
  • 寂=欲望から解放され心静かなこと

当時、この考え方は、それまで2世紀ほどの間日本でお茶を嗜んできた上流階級の考えに、真っ向から反するものでした。しかし、16世紀になると千利休が茶道に大きな影響を与えます。彼は「一期一会」という思想を展開しました。一度の機会、一度の出会いという意味です。

この思想を支えるのは、一生に一度しかないかもしれない出会いを大事にするという考え方です。

公式の茶会

茶会は季節と場所により異なりますが、大体はまず主と客が黙って礼を交わし、石鉢の水で手を洗い、口を漱いで身を清めます。

両者は茶室に入る前に履物を脱ぎます。客の席次は階級によって決まります。

最初に、客には何皿かの料理と、酒と菓子が振舞われます。食事の後、客は茶室から出て行き、主は茶室を掃き清めます。それから、生け花を飾り、茶会のための準備をします。

その後、客が茶室に入り、再び身を清めてから、置かれた物を一つ一つ鑑賞します。礼を交わした後、主賓に茶椀に入ったお茶が振舞われます。主賓は一口すすり、主に賛辞を述べ、茶碗の縁をぬぐいます。