インタビュー

駒ヶ根プロジェクト : 若手農家 林さんインタビュー

by 2017年4月 1日 10:36 PM

毎月駒ヶ根で田植えや稲刈りイベントでお世話になっている、
農家の林さんにインタビューさせていただきました。

2012年8月31日から12月まで全5回シリーズで開催する「利き酒ジャンボリー ~長野酒造巡り~ 」にて
林さんが作られたお米や農産物を使ったお料理をご提供するので是非ご参加ください。

■プロフィール
 
名前: 林 英之(はやし ひでゆき)
生年月日:1977/7/23
出身地:長野県駒ケ根市
農業従事年数:現在9年目
農園名称:なし
主な生産物:米、小麦、大豆、ズッキーニ、自家用野菜
 
 

Q1.
まず、林さんが農業を営むきっかけについて聞かせてください。
また、農業を営まれている長野県駒ケ根市について教えてください。
 
もともと実家は農家ですが、両親は養豚業(他2軒と共同経営)を主として、自家水田約1.5haほど水稲を作付していました。現在養豚業は定年退職として5年ほど前にやめています。
自分自身は漠然と農家の跡取りというか、とりあえず農学の勉強をと、普通科の高校から東京農業大学短期大学部生物生産技術学科へ進学し(あまり勉強はせず、合氣道部に明け暮れ)卒業はしましたが、その時に「今の自分で農業をすることは無理!」と次の進路の模索の中で、肉屋・飲食業などでアルバイトをしておりました。(フリーターで東京に2年間残った後も道場に通い、都合よく合氣道に専念できました。)
東京暮らしでも色々な事がありましたが、新宿のビル街で「大きなビルも山よりは小さいなー」とふと思った時に、そろそろ引き揚げかと感じたことは記憶に残っています。その中で、自分の仕事として農業を行うにあたり、必要なことは「実践」であり、身近な農業経営者=親父が通ってきた事をとりあえずやってみて、自分ができるかどうか考える事にしました。(改めて振り返ると・・・単純でした。)というわけで、長野県の八ヶ岳の麓にある「八ヶ岳中央農業実践大学校 研究科」に1年籍をおき、朝から晩までひたすら働き、その次の進路としてアメリカでの農業実習に2年間行くこととなりました。
帰国後、とりあえず実家で稲を少し作り、駒ケ根自慢の山なみに感動して(地元再発見!)山岳会に入り、あちらこちらへ行っているうちに、稲が病気になって記録的な大不作となる。その反動と悔しさから真剣に米作りをするようになりましたとさ・・・めでたし、めでたし。

駒ケ根自慢はなんといっても「山」!!
山国長野県、山岳列島日本の中でも、これほど見事に東西を美しい山々に囲まれた場所は少ない。その山なみと段々に織りなす田園風景が最高の場所です。自分の原風景はそこにあります。


Q2.
現在、駒ヶ根ではどのような作物を生産していらっしゃいますか?(季節ごとに教えてください。)
また、農業以外にも地域で参加している活動もありますか?
 
駒ケ根で作られている作物は、春~秋 米、そば、麦類、大豆、野菜(ネギ、アスパラ、ごま、その他いろいろ)、花卉は通年栽培(カーネーション、アルストロメリアなど)、秋には松茸も採れます。畜産は酪農、肉牛、採卵鶏など。全体的な面積では水稲が一番多い。農地は多いが、全国的な農業離れは駒ケ根も例外ではない。駒ケ根市の人口33,000人に対し、30歳代以下で専業農家の人数は7~8人くらいかと。

参加している活動
・駒峰山岳会(コマホウサンガクカイ)
日本百名山の1つ「空木岳」の山頂直下2800mに山小屋「駒峰ヒュッテ」を運営している、山岳会としては珍しい活動をする団体。夏は小屋番にも入ります。現会員の中で年齢的に一番長生きしそうなので、駒峰ヒュッテ代表者をしています。(森林管理署での代表者交代の手続きが煩雑なため)

・長野県山岳協会(理事・医科学委員長)
 日本山岳協会の構成組織、長野県山岳協会の医科学委員会を担当しています。さまざまな経緯から、なぜか医療の素人の自分がドクターやトレーナーのまとめをしています。子育て期+農繁期は忙しく、色々な事業に取り組めずにスミマセン。

・長野県農業士協会(理事)
 長野県全県単位の農家の団体の1つ「長野県農業士協会」。40歳くらいまでの若手農家の集まり。上伊那地区の回り番で役がきました。(人数が少ないため)

・駒ケ根市消防団 (第1分団1部 部長)
 全国共通の地域密着の防災組織「消防団」。火災の消火・行方不明者の捜索などに出動します。新入団員募集。

・中ア山麓スキー学校(駒ケ根教室)
 冬場の仕事、スキーインストラクター。資格は準指導員。最近のスキー事情や技術伝達の上級指導よりも、子供の指導に自信があります。

・合氣道駒ケ根会
 数名で市営武道館にて、毎週月曜日に2時間ほど畳の上を転がっています。合氣道を後50年続けることが目標。

・その他
南信州山岳ガイド協会・認定農業者の会、猟友会など。田舎暮らしは実・名を問わず、多くの組織に所属します。資格をとれば、強制的にその団体に入ります。

Q.3
林さんの農園の特徴および他の農園とは違う変わった農法がありましたら教えてください。

 「米は食味を重視、かつ低コストで安全性も上げたい」
 水稲栽培の一般的な栽培方法は、初めに多量の化学肥料を田んぼに入れて、田植えをし、稲の穂が出てくる頃に再び化学肥料を散布します。私の水田では、初めは前年の秋に鶏糞を入れて、初めの化学肥料はありません。田植え後にしばらくして尿素を撒きます。尿素は化学肥料ですが、陰イオンに塩化物イオンや硫酸イオンなどを含まない合成した有機化合物です。ハンドクリームに入っています。尿素は分解するとアンモニア体窒素になって、植物や微生物の栄養になるため、土壌・水質の負担がかかりにくいかと、勝手に思っています。また化学肥料は米の食味を落とすと言われますが、化学肥料の陰イオンである塩素、硫黄は臭みのある物質なので、それが食味を損なう元になっているのではと勝手に想像しています。(調査文献などは調べていませんが。)
肥料は尿素のみで穂が出て、稲が登熟していく過程で肥料が切れるのを待ちます。一般的栽培からすると後半は肥料切れですが、収穫した米の窒素分が高いと米に含まれるタンパク質が増えて、食味を落とします。初めから10a当たり600kgの収量を上げようとするとどうしても、食味を犠牲にせざるを得ません。しかし初めから500kg目標であれば、食味重視で作れます。ちなみに新潟の魚沼では、520kgあたりを標準的な生産数量として、栽培されています。
農薬の使用は「必要のないものは使わない」が基本です。予防的に使う農薬が農協の指導で増える中で、実際の水田を見ながら治療的につかう薬剤に変えることが必要と思っています。私の栽培した米は減農薬指針の範囲内ですが、自分としては減農薬とまで自信を持って言える範囲ではないので敢えて「減農薬」とはつけません。試験的に小さい水田で鶏糞のみを肥料として、除草剤を1~2回のみとし、殺虫剤・殺菌剤を不使用で栽培している米を減農薬として販売はしていますが、まだ少量です。
目指すところは「結果的な有機または低農薬栽培」かと。無駄な肥料と農薬を使わなければ、コストの削減になり、品質の高い米ができるはずです。


Q.4
林さんが農業を通して伝えていきたい事は何でしょうか?

 「米は食味を重視、かつ低価格で安全性も上げたい。」といった、一般的な栽培からすると矛盾することをしたい。
良いものが高いのは当たり前。でも、良いものを安く供給することが食糧生産の今後の要である。貿易の自由化が現実味を増し、国内農業の中心である稲作が海外の低コスト米に対抗するには、生産と流通など複合的にコストを下げて品質の向上を行わなければ国内農業は壊滅します。私1年半過ごしたカリフォルニアの米が入ってきたら、日本の米市場は崩壊するでしょう。十分おいしいお米が安く出回ります。国は「日本産は質が良く、安全性が高い」と強調しますが、現在の単なる自己満足の日本産の品質では、安価でそこそこの品質を求める大手スーパーをはじめとする、市場の要求には対抗できないでしょう。今も実際に中国産のお米は外食産業に多く流通し、皆気づかない間に口にし、気づかないまま慣れてしまっているはずです。市場開放を反対するだけでは、今後の日本農業は維持できません。貿易の自由化が始まるつもりで今から準備していかなければ、開放されてからでは手遅れになります。
自分の原風景である、駒ケ根市・長野県・日本の美しい景観は、次の世代から現在「預かっている」のにすぎません。わがままな自分の良かれと思うものを残していくためには、自分自身が稲作で生き残ることが絶対に必要なことです。


Q.5:
最後に読者に一言お願いいたします。
 
世界の東の果ての小さな島国「日本」。世界の中で、日本がどこにあるか知らない人は数えきれないくらい居る。その世界の最果ての山奥「駒ケ根」でも世界を見据えていかなければ、乗り切れない時代が来ている。
でも、どんなに世界が変わろうとも「人は食べずには生きられない」。食糧を土から作る力があれば、自分たちだけは生きられる。百姓は江戸の昔から「生かさず、殺さず」で扱われてきた。でも、百姓は時代をしたたかに乗り越え、今に至る。
農業とは、自分が食べるものを作ることができる強み、人間の本能的な生産活動の充足。人が地球の上で1つの動物として生きる姿が、農業・林業・水産業であろう。農作業をするとき、人は無心になり、黙々と行う。それは人間という動物としての本質的な活動だからだと、勝手に信じています。

林さんのお母さんと奥さんの手づくり弁当。田植えの途中にいただきました!野菜・お米は林さんが育てたもの。味噌も手づくりでした!

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